前章の最後に、食事に関する常識が誤っているという話がありました。明治時代以降、日本の栄養学はドイツのそれを模範としたということでした。調べてみるとこれは事実のようです。のちほど詳しく説明しますが、気候風土がまったく異なる地域の尺度を取り入れることに意味があるのでしょうか。
テレビでの健康番組や数多くの雑誌で、「健康によいもの」を特集しています。毎日のように新しい知識をみなさんは仕入れていることでしょう。しかし、そこには大きな落とし穴があります。間違った知識を覚えてしまうこともあるのです。
ここでは一つだけ例を出しておきます。
みなさんは「脚気」という病気をご存じかと思います。「ビタミンB1の欠乏によって起こる栄養障害性の病気」と百科事典には書かれています。
江戸時代の中頃から脚気は発生しました。ビタミンB1のほとんど含まれていない、白米を食べ始めたことによるものと思われます。脚気の原因がわかる大正時代頃まで、毎年二万人以上の人が脚気で亡くなったといいます。明治時代は、明治政府は欧米列強に追いつくため、富国強兵政策を実施します。陸軍と海軍の軍隊も整備されます。
当初、兵式を陸軍はフランス式、海軍はイギリス式と決定しましたが、後に陸軍はドイツ軍制の影響を受けることになります。軍隊においても、士気にかかわる脚気の問題は深刻でした。陸軍では、兵士の五分の一から三分の一が脚気を発症していたといいます。
しかし、当時は脚気の原因がわかりませんでした。ウイルスによる伝染病説、栄養不足によるものなど、さまざまな議論がなされてきました。そして、陸軍と海軍では脚気への対応が異なりました。
作家の森鴎外は、東大医学部を卒業後、陸軍の軍医になります。そしてドイツヘ留学します。これは陸軍がドイツ医学を取り入れていたためです。ドイツ医学では、脚気はウイルスによる伝染病であると考え、治療していました。そのため、陸軍では戦地で三万人以上の人が脚気に脳まされ戦死したといわれています。
一方海軍では、イギリスの医学を学んできた高木兼寛が、脚気対策に乗り出します。イギリス医学では、ビタミン不足が脚気の原因であると考え、オオムギを食べさせて治療していました。
そこで高木兼寛も、兵食を米食から米麦混食にしたところ、脚気は急速に減少したといいます。この話からは、白米ばかり食べていると、ビタミンB1が不足する可能性があることがわかります。江戸時代、江戸病といわれた病気にかかったのは大名や豪商でした。玄米が主であった当時でも、精米技術が発達して、お金を出せば白米を食べられるようになったからです。
|
| ■ あなたの考えは問違っている |
脚気の原因と治療について、このように大きな差がありました。それも、同じ時期に、日本の軍隊という比較的狭い世界のなかでのことです。ところが、現在の私たちはこうした経緯も知らず、脚気はビタミン不足からくるもので、決して怖い病気ではないと思っているわけです。
私たちの知らないことがたくさんあるのです。また、私たちが知っていることにも多くの誤りがある場合があります。過去の誤りは、歴史から消し去られます。しかし、現在間違っていることはどうでしょう。私たちが正しいと思いこんでいることもたくさんあるのです。
それでは、次の八つの記述が正しいか問違っているか考えてみてください。みなさんの常識を試してみましょう。
@玄米は健康にいいが、白米で代用できる。
Aスーパーの店頭には季節に関係なく、一年中いろいろな野菜が売っているので、どれを食べてもよい。
B牛乳は完全栄養食品であるから大人になっても毎日飲んだほうが良い。
C外国から安い食料が手に入るので、国産品を食べなくてもよい。
Dおいしいものをお腹いっぱい食べることは、よいことである。
E忙しい現代人は、コンビニエンスストアでお弁当を買って食べればよい。
F病気になると医者に相談するから、食べ物についても医者に聞けばよい。
G科学的な研究が進んでいるので、最新の栄養学を信じて食べ物をとればよい。
いかがでしょうか?
答えはすべて誤りです。「えっ!」と驚く方もいらっしゃるかもしれませんので、詳しく解説していきましょう。
|
| ■ 白米はカスである |
毎日、白米のご飯を食べていらっしゃる方も多いと思います。しかし、脚気の原因が白米であったことからも、力のない食物であることは問違いありません。また、白米を食べたために、江戸時代の大名や豪商は病気になりました。これは、白米に「食力」がないからです。
食力の詳しい説明は第三話でしますが、食品のもつ力のことをいいます。白米には、その食力がありません。つまり、カスなのです。カスを漢字で書くと「粕」。つまり「白米」ということになります。現在は、カスの食品がたいへん増えています。また、手をかけすぎた料理もカスになってしまいます。ある食品からおいしい部分だけをとって食べているからです。
東洋医学には、「一物全体食」という考え方があります。一つの食材のすべてを食べるということです。つまり丸ごと食べるわけですね。これが健康のもとになるのです。もちろん無駄もなくなります。
|
| ■ ”旬 ”の食品を食べなくてはいけない
|
スーパーの野莱コーナーを見ると、一年中同じ商品が並んでいます。違うのは、春にタケノコが出てくること、「新ジャガ」など「新」がつく商品があることくらいです。
一方、魚売り場のほうが季節感があります。春には「カツオ」、秋には「サンマ」が出てきます。野菜についていえば、ハウス栽培ができるようになって季節感がなくなりました。一年中、大根でもキュウリでも手に入れることができます。
食品には「食性」というものがあります。簡単に言うと、食品のもつ性質です。この章のはじめに、大根の炊き出しの話をしました。人根には身体をあたためる性質があるから、冬に食べるのです。また、キュウリは夏にとれる野菜で、水分を多く含んでいます。夏の暑い時期に食べると、体内からでた水分を補う効果があります。
いわゆる「旬の野菜」にはこうした季節に応じた性格をもっています。これが日本の四季にあっているわけです。旬の野菜を食べることにはちゃんと意味があるのです。旬を無視して食べてはいけないのです。 |
| ■ 牛乳は子牛の栄養源 |
「牛乳は完全栄養食品である」という人がいます。毎朝「健康のため」と言って、牛乳を飲んでいる人がいます。これは大きな間違いです。
まず、第一に、動物には必ず離乳期があり、それ以降は乳を飲まなくなるのです。ヒトも動物ですから、離乳期を迎え、少しずつご飯を食べられるようになったら、乳を飲む必要はありません。
「乳糖不耐性者の割合」
動物の乳には「乳糖」という糖質(炭水化物)が含まれています。乳糖は、ブドウ糖(グルコース)とガラクトースという二つの単糖類からできている二糖類です。ここに問題が潜んでいるのです。フランク・オスキー『牛乳には危険がいっぱい?』
(東洋経済新報社)から引用します。
「牛乳を飲んだあとで、乳糖が腸管から吸収されて血液に流入するには、二つの単糖類にまず分解されなければなりません。それには、乳糖を分解する酵素であるラクターゼが必要になります。ラクターゼは腸管の上部の細胞に存在し、それがもっとも多く集まっているのが、小腸の中ほどにある空腸とよばれる部分です。
ラクターゼの活性がはじまるのは妊娠第三期17か月以降)の胎児の腸管の中で、活性がピークに達するのは出生直後です。摂取する乳糖の量が多くて腸内でのラクターゼの処理能力を超えると、乳糖は消化されないまま大腸に運ばれます。
未消化の乳糖が大腸に到達すると、次の二つのことが起こります。
◎大腸に普段から生息する細菌に乳糖が反応する。細菌は乳糖を発酵させて、ガス、二酸化炭素、乳酸に変化させる。
◎乳糖の分子は浸透圧作用によって腸管内に水分を引き寄せる。その結果、腸管内にたまるガスと水分の量が増える。
ガスと水分の組み合わせは、腹部膨満感、けいれん、げっぷ、放屍症状、そして時には水様性下痢の原因となる。
牛乳を飲むと下痢をするという人はいませんか?原因は乳糖の未消化にあったのです。こう書いてしまうと、乳糖が消化できないことに問題があると思われるかもしれません。しかし、それは誤りです。一般に大人になると乳糖は減少するものなのです。
「以前は、腸管の中にラクターゼが欠損していることは、遺伝による先天異常のためにごく一部の子どもだけにみられる症状(ラクターゼ欠損症)と考えられていました。しかし、1965年になってジョンズ・ホプキンス大学医学部の研究グループが、被験者となった白人の15%、黒人の70%が乳糖を消化できないことを確認したのです。これをきっかけに世界中の人びとを対象とした調査がおこなわれ、乳糖を消化できない人が大多数であることがわかりました。
ほとんどの子どもの小腸におけるラクターゼの活性は、生後一年半から四年のあいだに徐々に低下します。これは成長過程における正常な生理的変化です。これと同じ現象は、離乳期にいたったほとんどの哺乳動物にもみられます。
この点ではヒトもほかの哺乳動物とまったく同じです。
第二に、牛乳は牛の子どものためのものだということです。ヒトの子どものためのものではありません。
「たとえば、ウシ、ヤギ、ゾウ、ラクダ、オオカミ、アザラシの乳汁は、糖質、たんぱく質、脂質、ミネラル(灰分)の含有量に大きな差があります。哺乳動物の乳汁は、それぞれの種の乳児に最適の栄養を与えるようになっています。
したがって、ヒトの乳汁(人乳)はほかの哺乳動物の乳汁とは異なっているのです。(中略)牛乳というのはあくまでも子牛のための食料であり、子牛はそれを飲んですくすくと育ちます。」
大人になったら牛乳を飲まなくていい理由がこれでおわかりいただけたと思います。
ところが、ヨーロッパ人は大人になってもラクターゼを分泌し続けています。これは、ヨーロッパの気候風土に関係あります。、ヨーロッパは寒冷地で、作物もあまりとれません。そのために、乳類から栄養をとらなければ生きていけないのです。その土地で生きていくために、体質が変化してきたのです。それでも「ヨーロッパ人の多くが現在のように乳糖を分解できるよを確認したのです。
これをきっかけに世界中の人びとを対象とした調査がおこなわれ、乳糖を消化できない人が大多数であることがわかりました。ほとんどの子どもの小腸におけるラクターゼの活性は、生後一年半から四年のあいだに徐々に低下します。これは成長過程における正常な生理的変化です。
これと同じ現象は、離乳期にいたったほとんどの哺乳動物にもみられます。この点ではヒトもほかの哺乳動物とまったく同じです。」
第二に、牛乳は牛の子どものためのものだということです。ヒトの子どものためのものではありません。
「たとえば、ウシ、ヤギ、ゾウ、ラクダ、オオカミ、アザラシの乳汁は、糖質、たんぱく質、脂質、ミネラル(灰分)の含有量に大きな差があります」哺乳動物の乳汁は、それぞれの種の乳児に最適の栄養を与えるようになっています。
したがって、ヒトの乳汁(人乳)はほかの哺乳動物の乳汁とは異なっているのです。(中略)牛乳というのはあくまでも子牛のための食料であり、子牛はそれを飲んですくすくと育ちます。大人になったら牛乳を飲まなくていい理由がこれでおわかりいただけたと思います。
ところが、ヨーロッパ人は大人になってもラクターゼを分泌し続けています。これは、ヨーロッパの気候風土に関係あります。ヨーロッパは寒冷地で、作物もあまりとれません。そのために、乳類から栄養をとらなければ生きていけないのです。その土地で生きていくために、体質が変化してきたのです。
それでも「ヨーロッパ人の多くが現在のように乳糖を分解できるようになるのに6000年以上の時間がかかって(島田彰夫『伝統食の復権』東洋経済新報社)いるのです。
さて、牛乳を飲んではいけないと書くと、「カルシウムがとれないのでは?」と思う方もいらっしゃることでしょう。しかし、答えは簡単です。日本人は昔から良い栄養源をもっています。それは「大豆」です。大豆を食べることで、充分日本人の身体を補える栄養がとれるのです。
|
| ■ 自分の身近でとれるものを食べなくてはいけない
|
日本で最初の狂牛病の牛が発見されたとき、牛丼チェーン店で「当店はアメリカ産の牛肉を使用しているので安全です」というポスターが張り出されているのを見かけました。また、平成13年度の日本の食糧白給率は40%です。食料の6割を海外からの輸入に頼っているわけです。私たちの食卓に並ぶもののうち、半分以上が外国のものということになります。
「身土不二(しんどふじ)」という考え方があります。自分の生まれ育った土地周辺のものを食べることがよいとされる考えです。土地ごとに土壌の性質や気候条件などの自然条件が異なり、できる作物も、同じ種類であっても性質が異なります。同じように、その土地で生まれた人間は、その土地の水を飲み、その自然条件のなかで生きてきました。
したがって、自分の育ったところ、生きているところのものを食べなさいということになります。具体的には、足で歩ける範囲である、三里四方、四里四方でとれたものを食べるということです。つまり12キロ、16キロ四方です。いくら安く手に入るからといって、外国から輸入したものを食べることは、人間の食性として良いわけがありません。
最近は、外国にしかないものを輸入するだけでなく、もともと日本にあったものまで輸入しているというから驚きです。
「食料は輸入すればいい」という考えに日本人が陥っていることは、別の意味でも危険です。もし、いま戦争が起こって輸入がストップしたらどうしますか?日本人は、こんなこともわからなくなってしまったのでしょうか。
|
| ■ 美食・飽食は病気のもと |
現代の日本人は、おいしいものをお腹いっぱい食べられるようになりました。「戦争中は食べるものもなくて……」などという話をすると、「古いなあ」と言われてしまいます。なんでも手に入ることは幸せなことかもしれませんが、食生活にっいていえば不幸の始まりです。たしかに、まずいものを食べるよりは、おいしいものを食べたいという気持ちはよくわかります。
しかし、おいしい料理は、たいてい味が濃くなります。そのために、素材のもつよさを殺してしまいます。また、飽食、つまり食べ過ぎについては、以前からたびたび指摘されてきました。「「飽食」は日本人の歴史の中で初めて経験することです。アメリカなど、世界の幾つかの国の人々は飽食状態にありますが、ここでもう一度、私たちがヒトという動物だということを思い出してください。
人類を含めたあらゆる動物は、地球上に出現して以来、飢餓との戦いの連続でした。そのような歴史の中で、次第に飢餓に対する適応力を身に付けていったのです。そのほうが生存には都合のよい条件となります。ヒトも飢餓に対する適応力を身に付けてきました。
それによって、凶作、飢誰を乗り切ってきたのです。」一島田彰夫『伝統食の復権』東洋経済新報社)カロリーでいうと、ヨーロッパ人は2000〜3000キロカロリー、日本人は760キロカロリーを摂取すればいいとされています。日本人はヨーロッパ人の約三分の一でいいのです。
それでは日本人はどういう食事をとればいいかというと、一汁一菜の食事になります。ご飯と具だくさんの味噌汁、そして漬け物です。こういう食事をしていれば病気にはなることはないでしょう。日本人は長い間このような食生活をしてきました。
ところが、江戸時代になると、江戸の人のなかにはガンになる人がでてきました。ぜいたくな食事をして760キロカロリー以上食べていたのです。現代ではほとんどの人がカロリーオーバーしていますが、いまでも760キロカロリーしか食べない人がいます。それはお寺で修行しているお坊さんです。お坊さんは、これ以上食べると修行ができなくなってしまうというのです。
|
| ■ 心のこもった食事をとろう
|
日本にはじめてコンビニエンスストアができたのは1974年のことです。その翌年からは24四時間営業が始まっています。いまでは、私たちのライフスタイルに、すっかり定着しています。真夜中でもちょっとお腹がすいたら、おにぎりを買って食べることができます。また、自動車に乗っていると、たくさんのフアミリーレストランが目につきます。これもほとんどが24時問営業です。
仕事で遅くなっても、帰りにご飯を食べることができます。忙しい現代人にとっては、たいへん便利でありがたい時代になりました。しかし、もともと食事とは、お母さんが家族のためにつくるものだったはずです。つまり、つくる人と食べる人の顔がお互いに見えていたのです。
コンビニ弁当やファミレスの食事では、つくった人の顔を見ることができません。お母さんがつくった食事には、家族への愛情、”こころ”がこもっていました。このような外食への抵抗感をなくすことに貢献したのは、学校給食であると島田彰夫氏は指摘しています。(『伝統食の復権』東洋経済新報社)
「外食と同時に、加工された食品を購入して食べるという新たな習慣も生まれました。現在では食品加工は一般的な産業のひとつになっていますが、その初期の段階では、家庭で作れない特別なもの、技術的に難しいものや高級品と考えられていたものに限定されていたといっても過言ではないでしょう。
現在では、漬物のようにかつては一般の家庭で当たり前のように作られていたものまで、「商品」となっています。食術が失われたのが大きく影響しているのでしょう。
食品加工産業が興ってくると、「食べる場」と「生産の場」との距離が遠くなってきます。また「商品」が売られる場で、いつ来るかわからない客を待っようになります。保存料などが使われる背景です。
さらに食品加工産業間での競争が激しくなると、「商品」の見た目や味を競うようになります。
着色料、合成調味料、着香料などが使われるようになります。もちろん現在許可されている食品添加物は、いずれも安全とされているものです。(中略)食品加工業の隆盛によって、私たちの生活が楽になったのは事実です。しかしその楽を追求したことによって、失われたものはそれ以上に大きなものでしょう。
食術はもちろんのこと、自然な味、色、香りなどを知らない世代がすでに大人になっています。これは恐ろしいことです。自然な食べ物を知らないということは、自然な食べ物に出会った場合、それを異味、異臭と感じてしまう可能性もあります。」(島田彰夫『伝統食の復権』東洋経済新報社)。
お母さんの愛情がないだけでなく、食品加工の問題、食品添加物の問題と、だんだん深刻なことになってきます。
忙しいからといって、楽なほう楽なほうにいってしまうことは、現代人の怠慢といえるのではないでしょうか。ご飯に味噌汁という日本の伝統食であれば、したくも簡単です。「忙しい忙しい」と言っていても、これくらいの時間はつくれるのではないでしょうか。 |
| ■ 医者は「食養生」を知らない |
今までは、医者の言うことを信じて治療を受け、薬を飲んでいれば病気は治ると思っていました。しかし、度重なる医療ミスで医者への信頼も揺らいでいます。また、医者は狭い医学の世界だけで生きていて、人間の健康の大もとである食事について、何も知らないという指摘もでてきました。
小泉武夫先生の『食の堕落と日本人』(東洋経済新報社)からの引用です。
「医学部のカリキュラムにも食べ物学を
教育が必要なのは子どもたちばかりではない。国民の健康を守るべき医師もまた、食べ物に対して高い知識を持っている必要がある。今、大学病院で内科の医師をしている娘の学生時代に医学部のカリキュラムを見せてもらったことがある。するとそこには、解剖学やら生理学やら、免疫学といった難しい科目ばかりが並んでいて、命の根源であるはずの食べ物を学習する学問がない。栄養学はあるものの、これは何たることかと、私は驚いたのであった。
食べ物は人が生きる基本である。正しい食事学を学ばずして医学と言えるのだろうか。
甘いものを食べ過ぎると糖尿病になりやすく、脂っこいものばかり摂ると膵臓炎になる恐れがある。美食が過ぎて太ると心臓病のリスクが大きくなるといったことは誰でも知っている。
逆に、いい食べ物をとることによって、症状を軽くしたり病気を治したりすることも理解できる。なにしろ、一日三回、一か月で百回近く、一年で千回以上もの食事をとるのである。食生活が人間にとっていかに大切なものか、ちょっと考えれば誰でもわかることである。
ところが、明日の健康を守ってくれるはずのお医者さんが、食べ物学を学ばないとはどういうことなのだろう。ほかの医科大学のカリキュラムも調べてみたが、「食べ物学」を設けている大学は皆無に等しかった。
これに対してお隣の中国はさすが食文化の伝統国だけあって、医学と食べ物の研究は密接に結びっいている。上海医学院のカリキュラムを見ても、医者になる人は全員食べ物の勉強をしっかりとしていて、医食同源の世界を垣間見せてくれた。
中国の食の思想の根本的考え方は、「食べ物によって健康を害することもあれば、食べ物で病気を治すこともできる」というもので、この食の伝統国は、医学の中でも、食餌療法というのを非常に重要なものとして位置づけているのである。
最新の医術ばかり持っていても、食べ物を中心とした人間の身体のシステムを学ばなければ、本当の健康をもたらすことはできないと思う。
とにかくどの病気にはどういう食べ物がよいか、どんな食べ物は悪いか、何を食べれば予防ができるのかなどについては、これまでの日本の医学教育ではあまり教えていない感がある。今こそ食からも医を学ぶときである。
この中に「医食同源」という言葉が出てきました。東洋医学の思想です。鎌谷社長も東洋医学を学びましたが、調べてみると、東洋医学の学習内容の二割は食養生であるそうです。
「さすが、医食同源という考え方をもづ中国だ」と感心したといいます。小泉先生も「一年で千回以上もの食事をとる」(前掲書)と書いています。医者が食べ物について知らないことが、人きな問題なのではないでしょうか。医者がすべてわかっているというのは幻想なのかもしれません。
第三章では、鎌谷社長が温熱療法や東洋医学を学んできた経験から、「医食同源」をはじめとする、東洋医学的な考え方をべースに現代人に必要な食事を解説します。
|
| ■ 栄養学の矛盾
|
食事というと、炭水化物やたんぱく質や脂肪やビタミンといった栄養素のことを真っ先に考える方が多いと思います。たしかに学校の授業で、食品にどのような栄養素が含まれているかとか、各食品をバランスよく食べるといったことを教わりました。
しかし、私たちが教わった栄養学というのは、ドイツの栄養学をべースにしています。東京医学校(現在の東京大学医学部)では、明治時代のはじめから、ドイツから数多くの学者を招聘し、医学教育を行っていました。栄養学についても、日本人はドイツから取り入れたのです。
【フォイトの栄養学と日本人の栄養】
「栄養学はベルツらによって、医学とともに日本に導入されました。その栄養学はカール・フォン・フォイトの考えに基づいたものです。彼はたんぱく質の研究者で、窒素出納などの研究をしていましたが、同時にドイツ人の栄養摂取などについても調べた人です。
当時の健康そうに見えるドイツ人の栄養摂取量から、表のような栄養摂取が望ましいとの結論を出しました。(中略)日本人は体格が小さかったので、その体重に比例配分させて、「日本人の保健食料」が作成されました。
現在でいう「栄養所要量」に相当するものです」(島田彰夫『伝統食の復権』東洋経済新報社)
ここに一つ落とし穴があります。
まず、日本列島とドイツの位置をくらべてみましよう。日本列島は、北海道最北の稚内が北緯45度、九州最南の鹿児島で北緯31度、沖縄では北緯26度になります。ところが、ドイツは北緯55度から47度の間に位置しています。まったく重なるところがありません。
【日本とドイツの位置関係】
これを島田先生は「北緯50度の栄養学」(島田彰夫・前掲書)と呼んでいます。「栄養学は食生活が背景にあって成立した学問です。そして食生活はその地域の自然環境を反毎映し、そこで入手できるものが基本となったものです」
(島田彰夫・前掲書)ドイツには深い森が広がっています。
そして気候も寒く、日本ほど作物がとれません。そのため、肉食・牛乳を飲むような食習慣ができあがったのです。そこから生まれた栄養学ですから、これは「ドイツ人のための」栄養学にほかなりません。これを日本人にあてはめたのは誰が考えても無理があります。
|
| ■ 栄養素ばかりを追い求める |
テレビの番組では、「○○を食べると△△の予防になります」といったことを言っています。テレビ番組でも、「食べ物と栄養」の話題は欠かせません。「○○はビタミンAが豊富です……」といった具合です。そして、最後に「今日は○○を食べて元気に一日を過ごしてください!」と言うのです。
毎日、手を変え品を変え、さまざまな食べ物が登場してきます。毎日買ってきて食べるのでしょうか?日本人の悪い癖なのかも一しれませんが、栄養素ばかりを追い求めるようです。「木を見て森を見ず」のたとえがぴったりです。
次は、幕内秀夫『粗食のすすめ』(東洋経済新報社)からの引用です。
「栄養素」にとらわれすぎる日本人
「栄養素」から食生活を考えることが、科学的なことだと思い込んできたことも問題の一つだ。栄養素とは、食物に含まれている糖質、たんぱく質、脂質、ビタミン、ミネラル類のこと。現在の私たちは、食物にはどのような栄養素が含まれているのか、かなりのことについて知ることができるようになった。
科学の進歩のおかげである。しかし、それらの進歩が、現在の私たちの食生活にどのような影響を与えてきたのかを考えてみると、必ずしも良い影響をもたらしたとはいえないと思う。
たとえば、長い間「肉は良質のたんぱく源」といわれてきたけれど、最近では「動物性脂肪の多い肉類は食べ過ぎないようにしましよう」などといっている。イカやタコ、貝類などは「コレステロールが多いので注意しましょう」といわれていたのに、今ではこれらの食品にはタウリンという成分が多く含まれていて、逆にコレステロールを抑制する働きがあることが分かったのだ。(中略)
何がなんだか、何を信じていいのかさっばり分からない状態になっている。
食品にはそれぞれメリット、デメリツトがあり、「身体にいい食品」が存在しないように、「身体に悪い食品」も存在しない。食品にどんな栄養素が含まれているのかを知り、それを参考にすることは悪いことではない。しかし問題は、ある一面だけを見て、たとえばそれを絶対と考え、「小魚にはカルシウムカたくさん含まれているから食べよう」などと結論づけてしまうことなのだ。
これでは科学的な考え方とはとてもいえない。
今の私たちは、栄養素のある面だけを見て善し腐しを判断する、「木を見て、森を見ず」の状態になってしまっているのではないだろうか。」栄養素で事が足りるのであれば、サプリメントをとればいいということになりますが、みなさんはどのように考えますか?
|
| ■ 日本には長年培われた食文化がある
|
私たちが日常知っていることには、これだけの誤りがあるのです。現代は情報社会といわれるように、様々な情報であふれています。それは食べ物、料理についても同じです。テレビでは、行ったこともない、また一生行くこともないような国の料理が紹介されています。また、デパートの食品売り場に行けば、どうやって食べていいのかわからない、いままで私たちが手にとったこともない食品が売られています。
雑誌のグルメ情報を見れば、世界中の料理を食べることのできるお店を紹介しています。「時々グルメ」であればいいのですが、毎日がグルメでおおわれています。「毎日がお祭りの食生活」と島田先生は表現しています。
(『伝統食の復権』東洋経済新報社)。私たち日本人の食事はどこへいってしまったのでしょうか?
食文化は、国や地域ごとに、長い時間をかけて作られたものです。ただ、日本の食文化が独白であるのは、日本は四季がはっきりしているという特徴があることです。四季があるため、季節によっで食べられる食材が異なるのです。
昭和17年ころまでは、日本に生活習慣病はほとんどありませんでした。それは伝統的な食生活を送っていたからです。昭和17年以前は、病原菌やケガといった外因的な要因から生命を落とすことが大半でした。しかし、昭和17年以降、外因的な要因から内因的なものに変わってきました。内因的な要因とは、食生活のことを指します。
これが生活習慣病の大きな原因なのです。
アンドルー・ワイル(上野圭一訳)『ワイル博士の医食同源』(角川書店)から、食事と健康について書かれた部分を引用します。
E食は健康を左右する因子のひとつである
くりかえすが、燃料の質が内燃機関の性能と寿命を左右するように、食事の質は人間のいのちや健康を左右するものである。問題は、健康を左右する多くの因子のなかで、食の影響がどれほど大きいものかということになる。この節の小見出しに書いた「ひとつ」の大きさが問題なのだ。
遺伝子をはじめ、じつにさまざまな環境的要因、心理社会的要因、霊的要因など、健康を左右する因子は無数にある。食はライフスタイルのひとつの側面でしかなく、ライフスタイルは他の多くの流動的な因子のひとつでしかない。その複雑な諸因子のなかからひとつの因子だけをとりだし、それが健康にあたえる影響の大きさを正確に測定することは不可能に近い。
ましてや「食は人なり」のきまり文句をかかげる一部の人たちのように、食こそが唯一の、もしくはもっとも重要な健康づくりの決め手であるといいきることはとうてい不可能である。
にもかかわらず、食習慣を変えたおおぜいの人たちの成果を調べ、人口あたりの罹患率を調査した疫学的データをみるかぎり、健康におよぼす食の影響を類推することは可能である。
たとえばデンマーク、オラングなど、西ヨーロッパの被占領国では、第二次世界大戦中に心筋梗塞による死亡者数が激減した。食糧難によって、飽和脂肪(バター、チーズ、特に肉)の摂取源が手に入りにくくなつたがらである。
戦争が終わって、それらの食品が食卓に供されるようになると、心筋梗塞による死亡率は上昇して戦前のレベルにもどった。伝統食をたべている日本人女性は世界でもっとも乳がんの罹患率が低いグループに属するが、その人たちがアメリカに移住してアメリカ食をたべはじめると、乳がんの罹患率は急上昇する。
伝統食をたべている日本人男性はアメリカ人男性に比べて前立腺がんの罹患率が低く、たとえ前立腺がんになっても、アメリカ人のそれほど悪性ではないのが普通である。
ところが、人々が伝統食から離れ、ビーフや乳製品を肝み、アメリカ式のファーストフードさえ食べている日本と中国では、前立腺がんがふえはじめている。そればかりか、東アジアではまれだったアテローム性動脈硬化症や冠動脈疾患などの「西洋病」がふえているのだ。
日本、中国をふくむ東アジアの国々は、食生活の変化と健康の変化の相関関係を観察するのに恰好の、生きた実験室である。おなじ国のなかでも、食習慣を異にする下位集団の健康状態が、その国全体のそれとは大きく異なるという事例があげられる。
菜食主義のキリスト教宗派であるアメリカの.「セブンスデー・アドベンチスト派」を対象とした研究では、一般のアメリカ人に比べて心疾患が極端に少ないことがわかっている。ただし、その差に菜食がどれほど関与しているかは、にわかに判定できない。というのも、セブンスデー・アドベンチスト派の人たちは菜食だけではなく禁酒禁煙を実行し、一般のアメリカ人が失った仲間同士のつよい絆でむすばれていて、心理社会的なサポートを享受しているからだ。」
具体的な記述がありましたが、ワイル博士は日本の伝統食を高く評価しています。
これはワイル博士だけではありません。1971年、アメリカのニクソン大統領が「ガン撲滅計画」をスタートさせました。そのさいに、マクガバン上院議員を委員長とするアメリカ上院栄養問題特別委員会が発足し、食生活にっいての研究を行いました。
先ほどのエスキモーの食生活についても調査が行われ、彼らが35〜45歳までしか生きられないことの原因を、栄養が悪いからだと考え、私たちが教わった西洋流の栄養学を彼らに教えました。
ところが、食生活を変えたところ、エスキーモーは20歳代でどんどん成人病(生活習慣病)になってしまったのです。マクガバンは、民族ごとに食べ物も栄養学も違うということに気がつき、1977年に「マクガバン・レポート」を発表しました。このレポートで注目すべき点は、「ガン、心臓病、脳卒中などの生活習慣病の原因は、食生活にある」としたことです。
食事と病気を関連づけました。とくに、動物性食品を多く取り過ぎていることと、加工食品の問題を指摘しています。アメリカは多民族国家ですから、それぞれの民族に固有の食事があります。そこで、どの民族の食事が一番いいのか、アメリカの栄養学のべースを何にするかという問題がおこりました。
そのときにスタンダードになったのが日本の食事です。
日本の食事が最高と言われたのです。だから、アメリカでは日本食ブームがおこりました。しかし、日本人はそれを忘れてイタメシだの、エスニックだのと、新しいものにどんどん飛びっいていますね。自分から死にに行っているとしかいいようがありません。明治以降、日本人は肉食をするようになりました。それまでの日本人の食事スタイルを考えれば大転換です。
「元来、猿の仲間である人間が、500万年かけてできあがった雑食性の食習慣を、たかだか200年くらいで肉食性の食習慣に変えるのは土台無理があるといわざるを得ない。人間も動物である限り、自然の摂理に従って食物を摂取していれば、健康をはじめ、無理な生産体系をとる必要もなく、自然環境の破壊を防止することもできて、万事うまく推移するはずである。
人間
事実、自然破壊がなかったら、チンパンジーやオランウータンは絶滅の危機もなく、森の中で静かに生きてゆけるはずである。人間も自然と調和した食山土活を行なうように徹するべきである。」
(飯野久栄・堀井正治編『医食同源の最新科学』農山漁村文化協会)。
|